Note 〜for valuable life〜

価値ある人生の為のノート。何かの参考にしていただければ ^^

「今を、そして未来を作る思考法」

何とはなしにくるメッセージ ありがとうございます。

何かのお役に立てば良いな、と思います。


何人かの方にはヒントになったようですね。

こういった反応が私には興味深い部分でもあり ブログを書く面白さでもあるんでしょう。


返信させていただいたように私はこのカテゴリーに対して販売といったことをやるつもりは毛頭ありませんし そこは検証、研究していただいたら良いか、と思います。

敢えてもう少しヒントになるものを出すとするなら そうなっているシステムが持つ意味を理解してその『逆転の発想』を持ってください、人が考える逆をいく思考です。


これは全てのことに対していえることですが そのシステムの本質を知り 特性を見極めること、これが出発点になります。

どれだけ無駄を省いて 根幹となるものをシンプルに見ることができるのか。

そしてそこから見えたことに対しての発想力、これが活きた思考に繋がります。


気がつけばそんなに難しいことではないことがわかる、と思います。

何人かの方が気がつかれたように。


若い頃 といっても私が40代に入る頃に職業柄パチンコ機のロムの開発に携わったことがある経験からいうなら 出玉曲線は全く読めません。作った側からしても。


設定1~6 今でもそうなのかどうかは解りませんが確かにお役所の規制で最低設定1でも確かに92%とか❨今のは知らないです❩にはなっていましてその数値にはなります。数を回せば。

が それがいつ、どのタイミングで、は予測不可能です。

ということでこれはまさにギャンブルです。これだけは言い切れる。

俗にいう「運を天に任せる」 神様は残念ながらいつも微笑んではくれない、多分。


コロナ禍の今 世の中が先行きに不安感を持っている。

経済的にきつくなっていくんだろうな、が今日発表された景況観の数字からも見えて来ている現状です。


その中においていろんな検証と新たなる生活様式が模索されている。


2年程度は最低限続く、と私は思っています。

ワクチン開発に米中は激しい戦いをしていますがそんなに簡単なものではない。

出てくるものは世の中に対してやっています、というメッセージを 光を投げかけるものだと思っています。

例えできた、としても急いだ『一定のリスク』は伴うものだと判断します。


では そんな中で何を指針に? というのが今試されています。

今回の一連の国の対策、対応を見るなら どこまで私達国民の『身近な暮らし』を守ってくれるのか、には限界が示されました。


やはり自分の暮らしは自分の手で切り開くしかないことが。

わかってはいたことですし 限界は勿論ある。仕方のない現実がここには見てとれます。


その中で生き残りをかけた行動、思考が問われる時代に否応なく入った、ということだと私は思います。


がそれはネガティブな感覚だけではなく ポジティブな捉え方もできる、という見方もできますよね。

私は間違いなく後者です。


年齢を重ねてきているせいで経験値はある、知識、世界にネットワークもある、気力もある、体力は・・・ないが。


いろんなことをやり始めるには絶好の機会である、と感じてそれを発案、実践しています。


ネット上に店を持っていましたが それをアップグレードしたり 金❨ゴールド❩を密やかに購入したり❨もう売るタイミングだけを見てますが❩ 知り合いの店、会社のアドバイザーをやったりとその範囲は多岐に渡ります。


いろんなアイデアはそこいら中にあります、今。


種は落ちています。


新しい生活様式が、新しい価値観が始まっている今。

ということはその形に沿ったものが足りていない、或いはない、ということです。


キーワードは「連想する力」。


昔の言葉に 『風が吹けば桶屋が儲かる』といったものがありましたがまさに今は そういったものがいろんな場面に普通にある。ニーズが生まれている。


例えば 皆さんが家にいる。→暇→時間を楽しめるもの? 部屋のインテリア変え?

家にいる。→体力不足→『楽しく、楽にできる、何か』→○○

家にいる。→子供もいる。→どんな空間が? 壁を使って何かできないか? とか

それはあなたが得意にしている分野でいい。それがどれだけのニーズがあるか そのイメージを見た人が便利そうだ、とか面白いとか といった感情がわくのか、が試される。


そこに必要なものは特異なものの方が良い。


何故なら ありきたりの発想から出てくるものは あなたのところから購入する必要性がないから。

Amazonなり 楽天なりから購入しようとします、普通なら。似たようなものを見つけて。

見た方々があっこれ いいかも。という購入動機をあなたの提案によって喚起されたにも関わらず違うショップで購入するとしたらそれは違いますよね。そういうことです。


が 今の時代 ネット上に店は無料でオープンできる時代です。

やらない、という手はないと私は思います、何か閃いたら。

そこにあるのは 必要なのは手間と作り込みです。

投資という名前のリスクはそこにはない。


一番簡単なのは今ある何かに 何かを関連付けること、だと思います。


後 今 流通しなくなってきそうな何か、に対してのものがあなたにあるとか。

今から中小企業、零細企業等が持たなくなりつつあります、悲しいかな。

このことが意味することは 大量販売される大企業が扱うものはある程度滞りなく流通するでしょう。

が 中小、零細企業が扱う特異分野に関しては 流通ができなくなるもの、流通量が減るものが増えると思います。


そういうものの価値は上がります、逆に。皮肉な現実ですが。


と先ほど風が吹けば・・・なんていうのを引き合いに出しましたが歴史に裏打ちされたある種の格言には注意を払っておいて損はありません、を付け加えておきます。


例えば「有事の際の金❨ゴールド❩、円買い』というのがずっと言われてきていました。

上記していますが人の行動心理には傾向があります。

人はそこに向かうんです。

かなり高い確率で予想できる未来、ですよね。


これも連想できるか、できないか、でタイミングを誤ります。


私が株に関しては今「見❨けん❩」のスタンスをとりながらこういうものには躊躇しない、というのは最悪を想定したとしても0にはならないから、に他ならない。


株の怖さは違う次元にあります。

紙切れに変わりかねない。勿論そんなことは稀であり こんな乱高下をする時期は儲かる可能性も高い、のかもしれない。

が 私の中で今 株を扱うというのはギャンブルでしかない。あくまでも私は、です。


それよりも楽しめることはたくさんある、今を切るなら。


生活としての貯蓄と自由に使えるお金は別であり 今自由に使えるお金の使い所は、と考えるなら そっちです。

「自分の世界観を試すのは楽しいし、そしてプラスそこにある『遊び心』」


時間というものに価値を与えられる。 という思考。

今でしょ やるなら。準備するなら。と思います。



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「God is in the details」^^

「God is in the details❨神は細部に宿る❩」


建築家の世界三大巨匠の一人 ミース・ファンギルローエのお気に入りの言葉です。

有名な言葉ですから聞いたことがある、という方も多いかと思います。


この言葉ですが建築というところだけでなくいろんな場面、局面において当てはまるな、と私は感じていて自分の中で時に問いかける言葉でもあります。


意味としては

『何をやるにしても細部をおろそかにしてはならない。』です。


私の中で大事にしていることが二つあって 一つが感謝であり 一つがリスペクト❨敬意❩です。

えっ見えない? あれっ(笑)


まぁそれはさておき


それはないんじゃない? というニュースをまた、そうまた である。

繰り返される足りない説明、そして配慮。


今までのコロナ対策において感染症の専門家会議の役割は大きかったはずである。


未知の感染症。

彼らの予見、分析、判断、等からくる数々の提言。


全てが今の段階でその提言が正しかったのかどうかは検証できない。

時間の経過、歴史がそれを判断するのだろう。


その途中経過の中で突然発信された「専門家会議廃止」という文言。

「廃止」という言葉を何故選ぶのか、それも専門家会議の方々が会見をされている最中に。


何故他の言葉 例えば「今 一段落した中で専門家会議は一度解体し 次の分科会への移行・・・」といった柔らかい表現を使わないのか、という疑問が湧いてくる。


「廃止」という言葉にはどうしてもネガティブな意味を含む言葉であると私は感じる。

そこにリスペクト、感謝は感じられない。


と もう一つがそのタイミング。

何故彼ら専門家会議の方々が会見をされているそのタイミングで 同じ時間帯において あたかも裏番組で同じ議題で違う演出が行われるように しかも尾見副座長にさえ知らされていない事実を。


そこにもリスペクトも感謝も感じられるものではない。少なくとも私には。


何故そんなことができるのか。

『思ってないから』に他ならない。


思っていたら それは 行われない、はずである。


繰り返します。


「神は細部に宿る。」


一つの言葉をも おろそかにしてはならないはずである。

そこに至る過程も おろそかにしてはならないはずである。

説明責任を おろそかにしてはならないはずである。


一事が万事


今 他のいろいろなことの中『全てに』当てはまる、と私は感じます。


もう一つ、私が政治に対して好きな言葉がある。


『正直は最良の政策である。』

      ❨ドン・キホーテより ミゲル・デ・セルバンテス/スペインの作家❩


まぁ どうなんだろう ・・・


また ^^



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「思考の中にある方法論」

世の中には様々な思考がある。


人の数ほどある、といっても過言ではないだろう。


ロジカルなものであったり感覚的なものであったり その思考の元になっているものにより その思考自体の性格、特性が決定されていく。

そこに経験則であったり 研究値であったり 環境的な側面により変化、進化、退化といったものに変化していく性質を持っている。


私は今 還暦を迎えるまで良いか、悪いか は別にして会社員として さまざまな普通ではないと言っていい特異といっていいと思える経験をしてきた。

それは私が自分で望んだ形ではなくて その時代の中でたまたま巡りあったものである。


今を捉えるならその最終ステージにいるのだろう、と思います。

と書いていますがそこにネガティブな感覚はない。


今を作っている自分であり その思考自体も悪くはないレベルにある、と感じているからです。


思考にはいろんな方法がある、と思います。


人は自然に思考を繰り返しています。当たり前のことですが それを意識する瞬間というのは意外にないのが普通のことです。ですよね。


そういう中において例えば「発想」という普段の自分の思考から外れるものを、となった時に どういう方法があるのか? を今回書いてみたいと思います。

興味を惹いたとしたら読んでみてください。


こうしなさい、なんていうことは残念ながらありません。

あくまでもこういうのもありますよ、レベルです。


自分に何か興味を惹くものがあってそのことに対して考えたい、と仮定します。

先ず それが実務的なものであるのか 上記している発想というようなある種の無いものから有るものを作る、という場合の思考は変わります。


原点が違いますから。


実務的なものに対する思考というのは大体において問題点であったり 更新であったり 進化を求められたりといった思考の対象がある程度かもしれませんがそれなりにゴール❨目標❩が見えている、という点にあると思えます。


こういったことは表面上は難しく見えても 意外にそうではないことが多く見られます。

そこには人の心理が絡んでいたり シガラミといったものが横たわっていたり といった外的な要因が単純な思考の妨げになり得ます。


物事の「本質」を先ず見極めること。全てはここから始まります。


私がよく書いていることですが。

ここを見ずに、突き詰めないうちに次に進むことは逆に遠回りになる、と私は思います。

出てくるものが見当違いであったり その方向性が違っていたり そこに無駄が出る可能性を見いだすからです。

しかも難しく見えたままかもしれない。


本質を見いだす、という思考はものをシンプルにします。

そのどこに問題点なり 間違いであったり メリット、デメリットを浮かび上がらせます、クリアーになります。


邪魔な部分を先ず全て削ぎ落とす、そこに生まれるのは単純な思考です。

不必要なことを併せて考える時間であり手間は無駄以外の何者でもない。


それこそが私が考える思考です。実務的なことに対して。


これは普段何気なく考えている、から意識を変えるだけで「できる」ことです。

例えばニュースを見る際に この話題の中心❨本質❩にくるものは何だろう、といったちょっとした見方を 意識を変えるだけです。

それだけで多分そのニュースは貴方を通り過ぎない。何処かに残り得るものに変わるかと思います。


次に普段の自分から離れたものの思考について。

一気に考えようとはしないこと。

普段ない思考をいきなりに、は無理があります。


そこにさて一気に、と追い込まれても 中々でるものではありません。

焦るだけ、自分の中の才能、資質に限界を感じる等デメリットが優先されます。


先ず大事なのは 気負わないこと。リラックスする、できる心身の状況を「敢えて」作る。

公園に散歩する、部屋で歌詞のない音楽を聞く、お風呂にゆっくり浸かる等何でも良い自分がリラックスできる状況を作り その中に浸る。


そこで思考を開放する。 

これは 「遊ぶ」ということ、純粋に。

中々これができそうでできない。

 

そこにはそれまでに蓄積されてきた「思い込み」であったり 「自分自身でもしくは周りから壁を作ってきた経験則がある」からに他ならない。


こんなことを とか 無理かな とかは関係ないところで子供が語る夢物語レベルでかまわない 大事なのは「遊びの中に自由な発想は生まれる。」


ということだと私は思います。 


ここでのゴール❨目標、目的地❩はこれができたら、実現できるとしたら このイメージは凄くない、です。


その後付けに世の中のニーズ❨需要❩、マーケット❨市場❩、コスト❨経費❩、環境等の要因がその実現性に繋がっていきます。

これは周りの協力、賛同を得て、になるのかも知れませんが そこに妥協をする必要性はない。


テクノロジーの進化によって今はできないかも知れないが一年後 五年後にはできるかもしれない。

今 その前段階のものを作る、サービスを開始してテクノロジーが追いついてきた時に進化形を出せばいい。

いろいろな試し方はある。


常に考え続ける必要性もない。 

常に頭の何処かにおいておき そのヒントが何かの際に出てくることはよくある。

見つけられることはある。


探し物と同じで探している時にはみつからないが 違うことをしている時に出てくる、なんていうことは普通にある。


どうそのヒントに気づくのか、頭の何処かにいるか、ということ。

その関連性に気付ける柔らかい思考、そこが大事なところかな、と感じます。


という私なりの思考方法。

何かの参考になれたら幸いです。




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